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コーヒー屋なんだけど、、、
カステラ 豆歴史




 黒い服の宣教師から、ペリー提督へ

           インターナショナルなカステラ




1571年、、ヨーロッパは大航海時代のさなか、日本では元亀2年、織田信長が権力の頂点へ登りつめようとしていた時代・・・


西の果て、長崎の港に3本マストのポルトガル船が入ってきました。
青い長崎湾を見下ろす岬には、サンタマリア教会が日を浴びていました。

裾の長い黒い服の宣教師たち、青い目のポルトガルの商人や船員たちが、まだできたばかりの長崎の坂の町を歩き回っています。
砂糖と卵をどっさり使った珍しい菓子がこの町にやって来たのもそのころでした。

スペインの古王国カスティーリャの名を取って長崎人は初めて口にするその甘いケーキを「カステラ」と呼びました。


やがて織田から豊臣、そして徳川へと世は移り、あの鎖国の時代が始まります。
それでもその長い二百年間ヨーロッパへ開いたただひつの窓であった長崎で、カステラは焼き方にも工夫を加えられ、珍奇な「南蛮菓子」として京の都へ、江戸の町へと広がっていくのでした。

そして1854年(安政元年)あの黒船を率いて日本を鎖国の夢から呼び覚ました米提督ペリーを、横浜海岸の急ごしらえの会見場でもてなした食事のあと、出されたデザートはやっぱりカステラだったのです。


カステラ。

それはいちばんインターナショナルの日本の和菓子です。



(「カステラの歴史」より抜粋)






本当の話なのでしょうが、
このように、少し行き過ぎているような表現をするところが、
「〜の歴史」などの面白い部分ですよね。(笑)






コーヒーと一緒に、『蜂蜜屋』さんのおいしいカステラを注文する






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